zerosabasuが咲く

主に日記や本を読んで考えたことを書いてます。

調子いい

お昼は親が買ってきてくれたので、お弁当。
んータッタあげおいしい。


今日は天気も良くてあったかいな。


最近は読書量減らしてる。
たくさん読むと混乱するし、実践もブレるな。


ひま病は消えた。
正体は不平不満だった。
「不満なんやね、それでいいんやで。」
と認めてあげるとなぜか不満は消えた。
なんか活力沸いてくる!
「~なんだね、それでいいんやで」はおすすめです。

「これでいい」と心から思える生き方
「これでいい」と心から思える生き方
サンマーク出版



今日は朝から笑顔作りまくってた笑。
そのせいかな?
瞑想続けてるせいかな?
マイナスよりプラスに目を向けてる。(気がする)


気持ちの受容

「それでいい」と自分に言ってみる。


苦しい。
それでいい。
苦しいと思っていい。
だって期待したから。
かなわなかったから。


ショック。
それでいい。
ショックと思っていい。
だってそんなに強くないから。


不安。
それでいい。
不安と思っていい。
抑圧するとよくないから。


自分の気持ちを受容する。
ジャッジしないで受け入れる。
それが人を愛することにつながるから。
自分を愛することにつながるから。

泣くこと、挫折することへのジャッジ

一つまえの記事で、自分は今泣く時期である、泣いたことで心が穏やかになった気がすると書きました。


今回は泣くときのジャッジについてさっき考えたことを書きます。
さっき、なので考えが未熟ですが興味あったら読んでください。


泣いたときに自分をジャッジしてしまう。
「泣くなんて自分はダメな奴だ」
「不幸を味わって人生の落伍者だ」
「泣いてる自分なんて嫌いだ」
と激しく自分をジャッジして責めてしまったりすることって僕はあります。
皆さんもあるかもしれません。


でもそれって本当なんでしょうか?
ダメ、とか、嫌い、とか、落伍者、とか。


単にそう感じるだけで実際はそんなに悪いものなんでしょうか?


ハッキリ言ってここまで想像で書いてます。
皆さんが泣いたとき自分を責めてしまうという前提で。


嫌な過去を思い出させるようでなんか良くない気もしますが、
なかったですか?
過去にクラブ活動で大会に挑戦したけど、泣いて終わる結果になったとか。


その時もしかしたら「自分はだめな落伍者だ」って思ったかもしれません。
そこから人生を諦めたように暗~くひっそりと生きている人、いるかもしれません。


でも本当に挑戦して敗北することが落伍者なのか。
成功するということは一度も挫折がないことなのか?
それとも挫折があっても乗り越えて歩んでる人なのか?


こういう話って痛みが伴ったりします。
「自分って挫折した上に落ち込んだままなんだ・・。」とか思うと胸が痛みます。
でも問題ないです。
胸の痛みは感じれば消化されます。


本当は挫折って、泣くことって、一時的なものでしかないんじゃないか?
考える価値はありそうです。


・・・。
ここまで書いたのを見直して気が付いたんですが、
挫折は一時的。
と頭では知っていても、無自覚に引きずってる人がいるんじゃないかと思ったのです。
僕もその一人で、これがさっき考えたことです。
だから自覚が第一歩。
ということですね。


ちょっと文体いつもとちがいますけど、気にしないでください笑